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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)24号 判決

大阪市平野区加美南5丁目9番10号

原告

細井俊明

同訴訟代理人弁理士

小谷悦司

長田正

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

高島章

同指定代理人

前田幸雄

中村友之

野上智司

吉野日出夫

井上元廣

主文

1  特許庁が平成4年審判第5449号事件について平成4年12月18日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨

2  被告

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和56年9月2日名称を「ドリル」とする発明(以下「本願発明」という。)について、特許出願(昭和56年特許願第138919号)をしたところ、昭和64年1月5日出願公告(昭和64年特許出願公告第166号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成4年1月10日異議の申立ては理由があるとの決定とともに拒絶査定を受けたので、同年4月1日査定不服の審判を請求し、平成4年審判第5449号事件として審理された結果、平成4年12月18日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は、平成5年2月12日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

ドリルの先端に、ドリルの底面視において、切刃始端がドリルの回転中心付近にあってドリル回転中心近傍で回転方向に対して凸なる曲線をなす中心切刃部を有する一対の切刃を互いに点対称に形成し、この切刃の逃げ角を+10°~+25°に設定し、この切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、直線的に次第に軸方向先端側に突出させて、この切刃の回転軌跡がほぼ円錐形となるように形成したことを特徴とするドリル(別紙図面1参照)

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)〈1〉  昭和54年特許出願公開第102682号公報(以下「引用例1」という。別紙図面2参照)には、ドリルの底面視において、一対の切刃はその始端部が回転中心にあって互いに点対称に配置され、各切刃は回転方向に対して凸なる曲線をなしたドリルが記載されている。

そして、ドリル先端部の正面図を表す第1図及びその右側面図を表す第2図において、切刃4の稜線をたどると、切刃は外周端部付近の切刃終端(第2図における仮想線40との交点)から回転中心付近の切刃始端10に到る程、次第に軸方向先端側に突出していることが記載されている。

さらに、切刃の逃げ角に関して「逃げ面は中心部から外周に到るまでわずかに正角をなし、すくい面11、12は中心部ですくい角がほぼ零で外周にいくに従って徐々に増加するように形成している。すくい角および逃げ角は図示の場合に限らず、種々の変形が可能である。」(2頁左上欄末行ないし右上欄5行)と記載されている。

同じく、昭和52年特許出願公告第31599号公報(以下「引用例2」という。別紙図面3参照)には、ドリル尖端研磨機械においてドリルを円錐形に研磨することが記載されている。

さらに、「穴加工ハンドブック」(切削油技術研究会、昭和54年1月25日発行、以下「引用例3」という。)には、ドリルの再研磨においてドリル切刃の逃げ角をほぼ+10°~+20°にとること(6頁ないし7頁)が記載されている。

〈2〉  そこで、本願発明と引用例1記載の発明とを対比すると、引用例1における「回転中心近傍の切刃」は、本願発明における「中心切刃部」に相当するから、両者の一致点、相違点は、次のとおりである。

一致点:

「ドリルの先端に、ドリルの底面視において、切刃始端がドリル回転中心付近にあってドリル回転中心近傍で回転方向に対して凸なる曲線をなす中心切刃部を有する一対の切刃を互いに点対称に形成し、この切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させて形成したドリル」である点。

相違点:

切刃の構成に関し、本願発明は、切刃の逃げ角を+10°~+25°に設定し、この切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、直線的に次第に軸方向先端側に突出させて、この切刃の回転軌跡がほぼ円錐形となるように形成したのに対し、引用例1記載の発明では、切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させて形成しているが、逃げ角及び回転軌跡に関しては特定されていない点。

〈3〉  そこで、この相違点について、まず逃げ角に関して検討する。

イ.引用例1には、切刃の逃げ面は中心部から外周に到るまでわずかに正角をなすこと、及び逃げ角は種々の変形が可能であることが記載されている。

被切削材の材質に応じて切刃の逃げ角を適宜設定することは普通に行われており、本願発明において限定された+10°~+25°という数値範囲は、当業者が通常採用する逃げ角の設定範囲と格別の差異はなく(例えば、引用例3には、ドリルの再研削において逃げ角をほぼ+10°~+20°にとることが記載されている。なお、再研削であっても、再研削後にドリルとして使用されるものである。また、「切削加工技術便覧」(日刊工業新聞社、昭和37年9月30日発行)には、ドリル切刃の逃げ角を12°~20°にとること(44頁ないし45頁)が記載されている。このように、逃げ角をほぼ10°~20°程度に設定することは周知の技術である。)、引用例1の逃げ角を+10°~+25°という数値範囲で設定することは、当業者が容易になし得たことである。

ロ.次に、逃げ角を上記数値範囲で設定した切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、直線的に次第に軸方向先端側に突出させて、この切刃の回転軌跡がほぼ円錐形となるように形成する点に関して検討する。

本願発明における「直線的に次第に軸方向先端側に突出させ」の解釈に関して、本願明細書には、何ら説明されていない。

ところで、本願発明のドリルの正面図を示す第4図において、切刃30が終端から始端へと略直線状に到っていることが記載されている。この記載からみて、上記「直線的に次第に軸方向先端側に突出させ」は、正面図における軸方向への突出形状が直線的であることを意味すると推測されるが、引用例1のドリル先端部の正面図を示す第1図において記載された切刃4の経路は、略直線状であると認められ、本願発明における切刃30は、引用例1記載の発明と正面図での比較においては実質的に差異は認められない。

そして、本願明細書及び図面には、第4図及び直線状の周辺切刃部または外周切刃以外に「直線的」に関する記載は見当たらないから、上記「直線的に次第に軸方向先端側に突出させ」は、切刃の回転軌跡がほぼ円錐形であることを明確にするために用いた表現と判断される。

ハ.したがって、以下この切刃の回転軌跡をほぼ円錐形に形成することについて検討する。

引用例2には、ドリルの尖端(本願発明における先端に相当)を円錐形に研磨することが記載されている。引用例2記載のドリルはチゼルを有するものであるが、ドリルによる穴あけ加工において、加工開始時のドリルの振れを防止するという技術的課題は従来より周知である。本願発明、引用例1及び2記載の発明は、いずれもドリルという同一の技術分野に属するものであって、引用例1記載のドリルにおいて、先端をほぼ円錐形とすることで安定が図られることは、当業者が十分予測できることである。

ところで、平成4年4月30日付手続補正書には、「すなわち、逃げ角が大きくなるにしたがって回転中心(切刃始端)よりその外側の切刃の湾曲部の方が軸方向に先端側に突出することになる。しかしながら、この様な場合でもこの発明では中心切刃の湾曲形状を調整して、切刃始端が軸方向に最も突出するように、すなわち切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、直線的に次第に軸方向先端側に突出させて、この切刃の回転軌跡がほぼ円錐形となるように形成している。」(2頁19行ないし3頁8行)と記載されている。

ニ.切刃の回転軌跡は、中心切刃の湾曲形状をよりなだらかに調整、すなわち湾曲の曲率半径を大きくするほど、ほぼ円錐形に近づくものである。切刃の回転軌跡が円錐形に近づくと、ドリル先端部の強度については不利になるから、中心切刃の曲率半径をどの程度にするかは、ドリル先端部の強度と安定性との兼合いで当業者が設計の際に適宜設定すべき事項である。例えば、引用例1記載の発明は、本願明細書添付の図面第1図ないし第3図に記載の従来例と比較して、少なくとも回転軸前方に最も突出する部分が回転中心付近にくるように中心切刃の湾曲形状が設定されたものである。

ホ.してみると、引用例1記載のドリルの切刃を、本願特許請求の範囲において限定された逃げ角に設定する際、逃げ角が大きくなると切刃の回転軌跡は回転軸前方に最も突出する部分が回転中心からずれてくることも考えられるが、その場合でも、前述のとおり、中心切刃の湾曲形状は当業者が適宜設定すべき事項であり、また、ドリルの先端をほぼ円錐形とすることで安定が図られることも当業者が十分予測できることであるから、回転軌跡がほぼ円錐形となるように中心切刃の湾曲形状を設定することも当業者が容易になし得たことである。

〈4〉  そして、本願発明の要旨とする構成によってもたらされる全体としての効果も、引用例1ないし3記載の発明及び周知技術から当業者であれば予測できるものであって、格別のものとはいえない。

〈5〉  以上のとおりであるから、本願発明は、引用例1ないし3記載の発明及び周知技術に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

(1)  審決の認定判断のうち、次の点を争い、その余を認める。

〈1〉 前項(2)〈1〉のうち、「ドリル先端部の正面図を表す第1図及びその右側面図を表す第2図において、切刃4の稜線をたどると、切刃は外周端部付近の切刃終端(第2図における仮想線40との交点)から回転中心付近の切刃始端10に到る程、次第に軸方向先端側に突出していることが記載されている。」とした点。

〈2〉 同(2)〈2〉のうち、「この切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させて形成したドリル」とした点。

〈3〉 同(2)〈3〉ハ.のうち、「引用例1記載のドリルにおいて、先端をほぼ円錐形とすることで安定が図られることは、当業者が十分予測できることである。」とした点。

同(2)〈3〉ニ.及びホ.の点。

〈4〉 同(2)〈4〉及び〈5〉の点。

(2)  審決は、引用例1の記載内容を誤認して、一致点の認定を誤り、その結果、相違点の判断において、引用例1ないし3記載の発明及び周知技術に基づいて容易に本願発明を想到し得たと誤った判断をしたものであり、かつ本願発明と引用例1ないし3記載の発明及び周知技術の作用効果の差異を看過したものであって、違法であるから取り消されるべきである。

(3)  取消事由1(一致点認定の誤り)

審決は、引用例1について、「ドリル先端部の正面図を表す第1図及びその右側面図を表す第2図において、切刃4の稜線をたどると、切刃は外周端部付近の切刃終端(第2図における仮想線40との交点)から回転中心付近の切刃始端10に到る程、次第に軸方向先端側に突出していることが記載されている。」としているが、引用例1には、このような記載はない。

引用例1の第1図及び第2図は、回転中心付近に大きな曲率の切刃が形成され、その切刃に対応するすくい面を形成させるために、切刃の始端部付近に凹部を形成していることを示すことを目的とした図面であって、切刃の側面状況が示されているが、それが切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出しているのか、あるいは逆に切刃始端よりその外周側の方が軸方向に突出しているのかについては何ら明確にされていない。少なくとも、この図面から「切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出していることが記載されている」と断定することはできず、そのような認定は何ら根拠がない。

切刃始端とその外周部との突出量の差は、通常使用される直径10~20mm程度のドリルでは1/10~1/100mm程度であるから、特別の注意をもって観察しなければ識別することはできず、「切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出しているもの」と「切刃始端よりその外周側の方が軸方向に突出しているもの」とを普通に図示すると、ほとんど区別がつかないものである。本願発明を知らずに、両者の差を意識せずに図面に表示すれば、引用例1の図面のように本願発明のものと区別がつかないものになってしまうのである。

本出願の願書添付の図面では、本願発明と従来技術との相違が明確になるようにするため、従来技術を示す図面においては、切刃始端よりその外周側の方が軸方向に突出していることがわかるように非常に誇張して表現しており、これに対して、本願発明を示す図面をあまり誇張すると表現が不正確になるおそれがあるので、図面は普通に描いて、その説明で内容を明確にしたのである。このように誇張した表現がされていない場合は、図面のみでは本願発明と従来技術との差は区別がつきにくいのである。このことを考慮せずに、両者は同一であるとするのは、技術内容を無視した皮相的な解釈というべきである。

本願発明の技術内容を考慮すれば、本願発明と同一のものが開示されているというためには、単に本願発明と一見類似した図面が開示されているというだけでは不充分であり、切刃始端とその外周端部とのいずれが軸方向に突出しているかが明確になるように誇張して図示するか、あるいは明確に識別できないような図面の場合には、その旨の説明を加えるかすべきであり、それがされていなければ、本願発明は開示されていないと解釈するのが妥当である。

以上により、引用例1において「ドリル先端部が軸方向先端側に突出していることが記載されている。」とした審決の認定は誤りであり、したがって、本願発明と引用例1記載の発明とは「この切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させて形成したドリル」である点で一致するとした審決の認定も誤りである。

(4)  取消事由2(相違点の判断の誤り)

〈1〉 引用例1記載の発明に引用例2記載の発明を適用することの困難性

審決は、引用例2にはドリルの先端部を円錐形にすることが記載されており、このことから、引用例1記載のドリルの先端部を円錐形にすることは当業者にとって予測可能であると認定判断している。しかしながら、引用例2に記載されているのは、先端部の回転中心部にチゼルが形成されていて、切刃が形成されていない旧型式のドリルであり、湾曲した切刃の形成された本願発明のドリルと同列に論ずることはできない。

チゼルとは、ドリルの先端の回転中心部で一対の切刃間に形成された稜線部分をいい、負のすくい角のすくい面を持ち、ほとんど切削作用をせず、いわゆる押し分け作用をするものである。このため、チゼルを有する型式のドリルでは、中心部の切り込みが行われず、切削性能が悪いという欠点があり、このような欠点を解決するために、引用例1及び本願発明に示すような中心部に切刃を有する新型式のドリルが開発されたのである。

チゼルを有する旧型式のドリルを製造するためには、引用例2に示されるように、ドリルをその自軸回りに回転させつつその頂面をグラインダで研磨するのであり、このグラインダが当たる角度を所定の刃先角にしておけば、チゼルが形成されるとともに、先端の尖った形状が形成される。

これに対し、引用例1及び本願発明が示す新型式のドリルでは、中心部に所定の曲率の切刃が形成されるように、ドリルの軸方向の面からなるすくい面を研磨し、また、それによって形成される中心切刃に所定の逃げ角の逃げ面が形成されるように、ドリルの頂面を研磨する。これによって、すくい面と逃げ面とが交差する交線に中心切刃が形成され、また、この逃げ面は、所定の刃先角が形成されるように傾斜させている。

両者の形状の相違から、新型式のドリルでは、中心部でも切削作用が果たされる一方、上記のように普通に先を尖らせるように製造したのでは、中心部は円錐形にならないという問題があるのに対し、旧型式のドリルでは、このような問題は存在しないが、切削作用は果たされないものである。

本願発明は、その特徴がドリルの中心部分にあり、この中心部分の形状において新型式と旧型式は全く異なり、それにしたがって作用効果も異なっている。したがって、穴あけ工具であるドリルという点で共通性があるとはいえ、本願発明との関係でみる場合は、旧型式のドリルと新型式のドリルとは、全く別の技術であるといわなければならない。

このように、引用例1記載の新型式のドリルと引用例2記載の旧型式のドリルとは、同列に論じられるものではなく、引用例2のドリルで先端を尖らせることが開示されていても、同じドリルであるからという理由で、それが当然に引用例1記載のドリルに適用されるということにはならない。

そのうえ、引用例2記載のドリルにおける先端を尖らせる方法をそのまま引用例1に適用することは、両者の構造の相違から不可能である。すなわち、引用例1記載のドリルにおいて、引用例2記載のドリルと同様に、ドリルを自軸回りに回転させながら頂面をグラインダで研磨する方法を適用すると、所定の逃げ角の逃げ面が形成されるようにドリルの頂面を研磨するという引用例1記載のドリルの製造工程が行われなくなり、このドリルの特徴である中心切刃が形成されなくなる。この点からも、引用例1記載のドリルと引用例2記載のドリルとは別の技術であるというべきである。

〈2〉 技術的課題の差異の看過

本願発明のように回転中心付近で湾曲した切刃を備えたドリルにおいては、ドリルの先端部を円錐形になるように設定したつもりでも、切刃の湾曲度及び逃げ角の度合いによっては、切刃の回転軌跡が円錐形にならないことがある。従来は、このことの認識がなかったために、本出願の願書に添付した図面中の従来技術についての第1図ないし第3図(誇張して示した図面)に示すような先端部が円錐形でない形状となっていたのである。

この認識がなければ、外観では、通常、切刃の回転軌跡が円錐形になっているかどうか識別が困難であるから、切刃曲線の湾曲度を調整して切刃の回転軌跡をほぼ円錐形になるようにするという発想は出てこないはずである。つまり、従来技術についての上記課題の把握があって、はじめて本願発明に到達するのであり、課題の把握があるかどうかが問題なのである。このような従来技術の課題の示唆は、引用例1及び2には、何らなされていない。

審決は、「切刃の回転軌跡は、中心切刃の湾曲形状をよりなだらかに調整、すなわち湾曲の曲率半径を大きくするほど、ほぼ円錐形に近づくものである。切刃の回転軌跡が円錐形に近づくと、ドリル先端部の強度については不利になるから、中心切刃の曲率半径をどの程度にするかは、ドリル先端部の強度と安定性との兼合いで当業者が設計の際に適宜設定すべき事項である。」と認定判断しているが、そもそも、切刃の「湾曲の曲率半径を大きくするほど、ほぼ円錐形に近づく」という事実は、本願発明を完成させる過程において、従来技術の課題として、本願発明者が見いだしたものであって、それまで何人もそのことには気付かず、そのため、従来は、本願明細書に記載するように、先端部が円錐形にならないドリルが作られていたのである。審決は、当業者がこの従来技術の課題を認識していたという前提のもとに、上記のような設計事項であるとの判断をしているが、誤った前提に基づく誤った判断である。

また、審決は、引用例1記載のドリルは、「本願明細書添付の図面第1図ないし第3図に記載の従来例と比較して、少なくとも回転軸前方に最も突出する部分が回転中心付近にくるように中心切刃の湾曲形状が設定されたものである。」としているが、引用例1に示された技術は、〈1〉に述べたとおりであって、図示の切刃が切刃始端に到るほど次第に軸方向先端側に突出しているのか、あるいは逆に切刃始端よりその外周側の方が軸方向に突出しているのかについては何ら明確にされておらず、上記図面から判断することはできないとするのが正確な解釈である。

さらに、審決は、「逃げ角が大きくなると切刃の回転軌跡は回転軸前方に最も突出する部分が回転中心からずれてくることも考えられるが、その場合でも、…中心切刃の湾曲形状は当業者が適宜設定すべき事項であり、また、ドリルの先端をほぼ円錐形とすることで安定が図られることも当業者が十分予測できることであるから、回転軌跡がほぼ円錐形となるように中心切刃の湾曲形状を設定することも当業者が容易になし得たことである。」とするが、これも誤りである。

まず、前段の「逃げ角が大きくなると切刃の回転軌跡は回転軸前方に最も突出する部分が回転中心からずれてくることも考えられる」という点については、本願発明者が初めて見いだした従来技術の課題であり、このことを当業者が当然に認識していることを前提としている点で、審決には判断の誤りがある。また、この誤った前提に基づき、審決は、「中心切刃の湾曲形状は当業者が適宜設定すべき事項であり」との誤った判断をしている。

後段の「回転軌跡がほぼ円錐形となるように中心切刃の湾曲形状を設定することも当業者が容易になし得た」という点も、当業者には従来のドリルでは円錐形になっていないという認識がなかったのであるから、円錐形になるように湾曲形状を設定するということが行われるはずがないのである。

以上の点で、審決の相違点についての判断は誤りである。

(5)  取消事由3(作用効果の差異の看過)

審決は、「本願発明の要旨とする構成によってもたらされる全体としての効果も、引用例1ないし3記載の発明及び周知技術から当業者であれば予測できるものであって、格別のものとはいえない。」としているが、この認定判断も誤りである。

引用例1及び2記載の発明、引用例3記載の技術及び周知技術には、本願発明における課題の開示も示唆もなく、解決手段についての開示も全くない。したがって、本願発明における「湾曲形状の中心切刃が形成されたドリルにおける加工開始時の振れを防止してスムーズな切削が行われる」という作用効果は、本願発明特有のものであり、「格別のものとはいえない。」という審決の判断は誤っている。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし3は認める、同4は争う。審決の認定判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。

2(1)  取消事由1(一致点認定の誤り)について

引用例1は、その特許請求の範囲に「ドリルの底面視において、一対の切刃はその始端部が回転中心にあって互いに点対称に配置され、各切刃は回転方向に対して凸なる曲線をなしかつ外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなすよう構成し、」と記載されているとおり、湾曲形状をなした切刃自体をも構成要件とするものであって、それを表す図面を不明確なものとすることはできない。

ところで、本願明細書には、従来のドリルの切刃のうち最も軸方向に突出する部分に関して、「切刃3、3’の底面視において回転前方に最も突出する部分すなわち曲線状の中心切刃部3a、3’aと直線状の周辺切刃部3b、3’bとの接点付近P、P’が、正面視においても軸方向最先端に突出し、」(2頁14行ないし18行)と記載されている。

したがって、引用例1記載のドリルにおいて、もし切刃始端より外周側の方が軸方向に突出すると仮定した場合、最も軸方向に突出する部分は、曲線状の中心切刃部と直線状の周辺切刃部との接続点、すなわち第3図でいえば符号4の引出し線が付されている付近である。この部分は、切刃始端からある程度離れた個所であるから、原告の主張するようにその突出量の差が僅かなものであっても、正面図、側面図において切刃の外周側と始端のどちらが突出しているかは明確に把握できる個所であり、外周側の方が突出していれば、図面上に何らかの突出状態が表れるはずである。しかるに、正面図である第1図、側面図である第2図のいずれからも、第3図における曲線状の中心切刃部と直線状の周辺切刃部との接続点付近に対応する個所が最も軸方向に突出しているものとすることはできない。

してみると、引用例1記載のドリルの切刃は、「切刃始端よりその外周側の方が軸方向に突出しているもの」ではなく、「切刃終端から切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させているもの」であることは明らかであり、この点についての審決の認定に誤りはない。

(2)  取消事由2(相違点の判断の誤り)について

〈1〉 引用例1記載の発明に引用例2記載の発明を適用することの困難性について

ドリルの技術分野においては、加工開始時のドリルの安定という技術的課題は周知であり、円錐形にすれば安定が図られることも技術常識である。これは、例えば先が鈍いものより尖ったものの方が振れ難いこと等からしても明らかである。

引用例2記載のドリルは、先端部を円錐形状にしたものであるから、加工開始時の安定化を図っているものと理解できる。そして、審決が引用例2を引用したのは、円錐形という形状がドリルにおいて本出願前に存在したことを示すためであって、引用例2記載のドリルの研磨方法を引用して、この研磨方法が引用例1記載の発明に適用できるとしたものではない。

本願発明及び引用例1記載のように回転中心部付近に湾曲切刃を有するドリルであっても、引用例2記載のようにチゼルを有するドリルであっても、両者は、穴明け工具としてのドリルという共通する技術分野に属するものであり、穴明け時のドリルの安定性に関する要求は、両者において変わるところはない。

そして、引用例1記載の湾曲切刃を有するドリルに対して、切刃の回転軌跡をほぼ円錐形に形成することは、後記〈2〉で述べるように、当業者にとって格別困難なことではなく、また、円錐形という形状により安定性が図られることは技術常識であることからすれば、引用例2記載の円錐形という形状を、引用例1記載のような中心切刃を有するドリルに適用することは当業者が容易になし得たことというべきである。

したがって、「引用例1記載のドリルにおいて、先端をほぼ円錐形とすることで安定が図られることは、当業者が十分予測できることである。」とした審決の判断に誤りはない。

〈2〉 技術的課題の差異の看過について

前述のとおり、ドリル先端部が円錐形であれば加工開始時の安定が得られることは、引用例2から公知である(技術常識でもある。)ところ、引用例1記載の発明においては、ドリルの切刃の回転軌跡が円錐形であると特定されていないのであるから、引用例1記載のドリルが振れに対する安定性の確保という本願発明と同一の課題を内包していることは、当業者なら容易に把握できるところである。

次に、引用例1記載の湾曲切刃を有するドリルに対して切刃の回転軌跡をほぼ円錐形に形成することは、以下に述べるとおり、当業者が容易になし得たことである。

まず、「逃げ角が大きくなるにしたがって回転中心(切刃始端)より外側の切刃の湾曲部が軸方向に先端側に突出する」という事項は、本出願の願書に最初に添付された明細書には記載がなく、公告後の平成4年4月30日付で補正されたものであるが、この事項は願書添付の図面の第1図ないし第3図に従来例として示されるような切刃始端よりその外周側の方が軸方向に突出しているものの切刃形状からみて、当業者にとって自明の事項である。すなわち、従来例のドリルは、底面視で回転前方に最も突出している部分が軸方向でも最先端に突出するから、湾曲切刃を有するドリルにおいて逃げ角を増せば、この部分が軸方向に突出してくることは明らかである。

一方、引用例1記載のドリルは、切刃始端に到るほど、次第に軸方向先端側に突出するように切刃形状が設定されたものであり、切刃の取付け方等に特別の手段を講じたものでもないから、切刃の湾曲が上記のような形状に設定されたものとみることができる。

回転軌跡をほぼ円錐形とするには切刃の湾曲をなだらかに設定すればよいことは、幾何学的にみて当業者が容易に想到できたところであり、また、引用例1記載のドリルが振れに対する安定性の確保という課題を内包することは前記のとおりであるから、引用例1記載のドリルに対して切刃の回転軌跡がほぼ円錐形となるように切刃形状を形成することは、当業者にとって格別困難なことであるとすることはできない。

以上のように、審決は、本願発明と引用例1及び2記載の発明との技術的課題の差異を看過したものではない。

したがって、「回転軌跡がほぼ円錐形となるように中心切刃の湾曲形状を設定することも当業者が容易になし得たこと」とした審決の判断に誤りはない。

(3)  取消事由3(作用効果の差異の看過)について

前述のとおり、引用例1記載の湾曲切刃を有するドリルに対して切刃の回転軌跡をほぼ円錐形に形成することは、当業者にとって格別困難なことではないのであり、切刃の回転軌跡をほぼ円錐形に形成することにより得られる本願発明の「加工開始時の振れを防止する」という効果は、前記〈1〉で述べたとおり、引用例2記載の発明、周知技術及び技術常識から当業者が十分予測可能である。

したがって、「本願発明の要旨とする構成によってもたらされる全体としての効果も、引用例1ないし3記載の発明及び周知技術から当業者であれば予測できるものであって、格別のものとはいえない。」とした審決の判断に誤りはない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)、同3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決の取消事由について検討する。

1  甲第2号証の1(昭和56年9月2日付特許願書及び同添付の明細書、図面)、同号証の2(平成4年4月30日付手続補正書)によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

(1)  本願発明は、切削性能の優れたドリルに関する。(願書添付の明細書(以下「明細書」という。)1頁16行ないし17行)

(2)  従来の渦巻刃ドリルでは、第1図ないし第3図に示すように、ドリル本体1の先端に固着した一対の超硬チップ2、2’の先端に、ドリル回転中心0を切刃始端として回転中心近傍で回転方向に対して凸なる曲線をなす中心切刃部3a、3’aと、該中心切刃部3a、3’aに連続して外周端部付近に到る直線状の周辺切刃部3b、3’bとからなる切刃3、3’を設けているが、該切刃3、3’の逃げ面4、4’は、直線切刃部3b、3’bを基準として第2図細線で示す方向に研削され、該直線切刃部3b、3’bの回転方向に対する逃げ角が一定となるように形成され、曲線切刃部3b、3’b(3a、3’aの誤りと認められる。)の逃げ面は直線切刃部3a、3’a(3b、3’bの誤りと認められる。)の逃げ面と連続した平面によって形成されている。

この場合、切刃3a、3’aの底面視において、回転前方に最も突出する部分すなわち曲線状の中心切刃部3a、3’aと直線状の周辺切刃部3b、3’bとの接続点付近P、P’が、正面視においても軸方向最先端に突出し、この突出部P、P’より、中心側の中心切刃部3b、3’bが軸方向に後退し、該切刃3a、3’aの回転軌跡がほぼW状となる。

このような従来のドリルでは、僅かな加工誤差によって前記突出部P、P’の軸方向の突出量に誤差が生じ、この誤差や被削面の傾き等により、穴あけ加工時とくに喰付き時に、該突出部P、P’が被削面に対して相前後して接触することにより、これに伴ってドリルに振れが生じ、切刃が損傷し易く、これがドリルの寿命を低下させる要因となっていた。(同1頁20行ないし3頁7行、別紙図面1参照)

(3)  本願発明は、上記従来のドリルの欠点を解消することを目的とし、要旨記載の構成(手続補正書2頁5行、4頁2行ないし11行)を採用した。(明細書3頁8行ないし12行)

(4)  本願発明は、その構成により、穴あけ加工開始時(喰付き時)の振れを防止してスムーズに切削できるようにし、切刃の損傷を防止でき、ドリル寿命を向上できる効果を奏するものである。(同6頁4行ないし14行)

2  取消事由1(一致点認定の誤り)について

甲第3号証(昭和54年特許出願公開第102682号公報)によれば、引用例1には、同記載の発明の技術的課題(目的)、構成について、次のとおり記載されていることが認められる。

(1)  「本発明は、高速加工、高送り加工に適する渦巻き刃ドリルに関するものである。」(1頁左欄15行ないし16行)

(2)  「本発明者はさきに渦巻き刃形のドリルを提案した。しかし、渦巻き刃形にして中心部の切削が良好に行なわれるようにしても、中心物(中心部の誤りと認められる。)付近の切刃に充分なすくい面が形成されていなければ、生成する切屑の排出がなめらかに行なわれないために、高速加工や高送り加工の際に切屑の排出に支障をきたすことになる。

本発明はこのような点に鑑み、ドリル中心付近の切削が良好に行なわれると共にその切屑の排出もなめらかに行なわれるドリルを提供することを目的とするものである。」(1頁右欄8行ないし18行)

(3)  「本発明は、ドリルの底面視において、一対の切刃はその始端部が回転中心にあって互いに点対称に配置され、各切刃は回転方向に対して凸なる曲線をなしかつ外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなすように構成し、各切刃の始端部付近においてドリルのねじれ溝に凹部を形成することにより該凹部によって始端部付近の切刃にすくい面を形成させたものである。」(1頁右欄19行ないし2頁左上欄6行)

上記(1)ないし(3)認定の引用例1記載の発明の技術的課題、構成を、前記1(1)ないし(3)認定の本願発明のそれと対比してみると、引用例1記載の発明は、本願発明と技術的課題を異にし、その構成において本願発明と「ドリルの先端に、ドリルの底面視において、切刃始端がドリル回転中心付近にあってドリル回転中心近傍で回転方向に対して凸なる曲線をなす中心切刃部を有する一対の切刃を点対称に形成する」点において一致しているが、引用例1の明細書の記載からは、このドリルを「この切刃を外周端部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させて形成する」構成を有するものとは認められない。

この点について、被告は、引用例1記載の発明が上記構成を有することはその図面から明らかであり、ドリルにおいて、切刃始端とその外周部との突出量の差がわずかなものであっても、正面図、側面図において切刃の外周側と始端とのどちらが突出しているかは明確に把握できる個所であり、外周側の方が突出していれば図面上に何らかの突出状態が表れるはずであるのに、引用例1における正面図である第1図、側面図である第2図のいずれからも、第3図における曲線状の中心切刃部と直線状の周辺切刃部との接続点付近に対応する個所が最も軸方向に突出しているものとすることができない旨主張している。

一般的にいって、図面に構造が明確に表示されている場合には、明細書に特段の説明がなくてもそのような構造を持つものと認識し得るが、図面に構造が明確に表示されていない場合には、明細書において何らかの説明がなされていなければ、その構造を認識することはできないというべきである。特に、本件のようなドリルの場合、切刃始端とその外周部との突出量の差は、きわめて微小なものであるから、該当部分を十分に拡大して図面に描くか、あるいはは明細書中で説明するかしなければ、その構造を認識することはできないといわなければならない。

前掲甲第3号証をみても、引用例1の第2図において、切刃始端とその外周部(切刃始端付近)とは、いずれがより軸方向に突出しているか明確ではない。引用例1の図面は、実物大より多少拡大して描かれているものの、この点を明確にするものではなく、明細書中にも何らの説明もない。かえって、前掲甲第3号証によれば、引用例1の明細書に、「各切刃は…外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなすように構成し、」(1頁左欄7行ないし9行)と記載されていることが認められるが、これは、外周部よりも中心部に到るほど切刃の曲率を大きく形成することである。これに対して、本願発明においては、切刃を「切刃終端から切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させる」のであって、このためには、中心部の切刃曲線が小さな曲率になることが望ましいことは技術的に自明である。そうすると、引用例1は、取りも直さず本願明細書が述べている従来例を示しているにすぎないと判断される。

さらに、同号証によれば、引用例1の明細書には、「また逃げ面は中心部から外周に至るまでわずかに正角をなし、」(2頁左上欄20行ないし右上欄1行)と記載されていることが認められる。一般に、逃げ角を小さくした場合には、中心部の切刃の曲率をある程度大きくしても、本願発明のように「切刃終端から切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出させる」ことは可能であるが、本願発明のように逃げ角を+10°~+25°と大きく設定した場合、中心部の切刃の曲率を大きくすることは、従来例の切刃の形状に近似していくのであるから、上記「わずかに正角をなし、」の記載からすると、引用例1は、中心切刃の逃げ角と曲率の関係についての認識がないというべきである。

引用例1記載の発明においては、ドリルの逃げ角を本願発明より小さく設定してあるので、軸方向に最も突出する点は回転中心に近い点になるが、逃げ角を大きくしていくと、それに応じて軸方向に最も突出する点は回転中心から遠ざかる方向に変化するものと理解され、そのため本願発明の課題である「穴明け加工時の振れ」が生ずると判断される。

本願発明は、前示1認定事実からして、この逃げ角を大きくしたにもかかわらず、中心切刃の曲率を小さくすることにより、軸方向に最も突出する点が切刃始端にくるように構成したものということができる。

以上のとおり、引用例1には、本願発明の特徴とする技術的課題及び上記構成が示されているといえず、したがって、「切刃は外周部付近の切刃終端から回転中心付近の切刃始端に到る程、次第に軸方向先端側に突出していることが記載されている。」と認定したことは誤りであり、これに基づいて引用例1記載の発明は上記構成を有する点において本願発明と一致するとした審決の一致点の認定も誤りであるというべきである。

3  取消事由2(相違点の判断の誤り)について

〈1〉  引用例1記載の発明に引用例2記載の発明を適用することの困難性について

前掲甲第3号証によれば、引用例1は、発明の名称を「チゼルなし渦巻き刃ドリル」とし、明細書には、次のように記載されていることが認められる。

「本発明は、高速加工、高送り加工に適する渦巻き刃ドリルに関するものである。

従来のドリルはチゼル部の矛盾を未解決のままにしているために、切味と切屑の排出に重点をおいたドリルは剛性が不足し、剛性の高いドリルは切味が悪く重切削に不向きであった。また、近年被削材中には難削材、高硬度材も多く含まれるようになってきており、ドリルにも超硬合金の採用が必要となってきたが、超硬合金を採用してもドリルの中心部では切削速度が零に近い上にチゼル部分のすくい角は極端な負角となるために刃物としての効果が期待できず、また送り量に相当する圧縮荷重をうけることになる。このような問題を解決するために、本発明者はさきに渦巻き刃形のドリルを提案した。」(1頁左欄15行ないし右欄9行)

上記記載に照らすと、引用例1記載のドリルは、本願発明のドリルと同様に、先端の回転中心付近に切刃を備えたいわゆる渦巻き刃ドリルに関するものであるということができる。

これに対し、甲第4号証(昭和52年特許出願公告第31599号公報)によれば、引用例2は、発明の名称を「ドリル尖端研磨機械」とし、その明細書に、ドリルの先端を尖らせるように研磨することが記載されているが、ここに記載されているドリルは、中心部にチゼルが形成された型式のドリルであることが認められる。

ここにいう「チゼル」は、その形状からして、ドリルの回転中心を通って一対の外周切刃の内側端部間を接続するように形成されるものであるが、その研磨方法は、一方の外周切刃の逃げ面の研磨の際にチゼル全幅を研磨し、他方の外周切刃の逃げ面の研磨の際にもチゼル全幅の研磨を行うことになるもので、いずれの側の逃げ面の研磨においても、チゼル全体の形状が直接に影響を受けることになると判断される。

このため、引用例2に示されたドリルを自軸回りに回転させながら頂面をグラインダで研磨する方法を、引用例1記載のようなチゼルの代わりに中心切刃が形成されているドリルに適用しようとすると、一方の外周切刃の逃げ面を加工すると同時に回転中心から両側に形成された中心切刃を研磨してしまうことになり、このことは、一方の中心切刃の逃げ面を研磨すると同時に他方の側の中心切刃を逃げ面と反対側から研磨して中心切刃を削り落としてしまうことになる。つまり、引用例1記載のドリルに対しては、引用例2記載のような逃げ面の研磨方法は適用できないものと判断される。

この点について、被告は、審決が引用例2を引用したのは、円錐形という形状がドリルにおいて本出願前に存在したことを示すためであって、引用例2記載のドリルの研磨方法を引用して、この研磨方法が引用例1記の発明に適用できるとしたものではない旨主張する。

しかしながら、前記2で判示したとおり、本願発明や引用例1記載の発明のような回転中心付近で湾曲した切刃を備えたドリルにおいては、ドリルの先端部を円錐形になるように設定したつもりでも、切刃の湾曲度及び逃げ角の度合いによっては切刃始端よりその外周側の方が軸方向前方に突出するようになり、切刃の回転軌跡が円錐形にならないのであるが、引用例1にはこの点の認識はなく、また本出願当時当業者がこのことを認識していたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、引用例1からは、ドリルの先端部を円錐形にしようとする動機付けが得られないということができ、引用例1記載の発明と引用例2記載の発明を結び付ける契機は生じないと解される。

〈2〉  技術的課題の差異の看過について

本願発明は、前記1(2)認定の従来技術の欠点を解消するために、回転軸前方に最も突出する部分が回転中心付近にくるよう湾曲形状を調整する必要があるとの知見に基づき、その要旨とする構成を採用したものであるのに対し、引用例1記載の発明には、そのような技術的課題も知見も存しないことは、前記2に判示したとおりである。

この点について、被告は、ドリル先端部が円錐形であれば加工開始時の安定が得られることは、引用例2から公知である(技術常識でもある。)ところ、引用例1記載の発明においては、ドリルの切刃の回転軌跡が円錐形であると特定されていないのであるから、引用例1記載のドリルが振れに対する安定性の確保という本願発明と同一の課題を内包していることは、当業者なら容易に把握できるところであると主張する。

確かに、ドリルの技術分野において、ドリルの先端を円錐形にすれば、振れの安定が得られることは技術常識であるといえる。

しかしながら、従来の渦巻き刃ドリルにおいては、当業者がドリルの切刃の回転軌跡は円錐形になっていないことを認識していたとは認められず、引用例1記載のドリルについては、中心切刃の逃げ角と曲率の関係についての認識がなかったことは前述のとおりである。逃げ角が小さい場合は、軸方向に最も突出する点は回転中心に近い点になるが、逃げ角を大きくしていくと、軸方向前方に最も突出する点もそれに応じて回転中心から遠ざかる方向に変化し、その回転軌跡は円錐形とならない。本願発明は、このように、中心切刃の曲率、逃げ角及び刃先角によって軸方向に最も突出する点は変化するとの知見に基づいて相違点に係る構成を採用したものであるが、引用例1には、回転軸前方に最も突出する部分が回転中心付近にくるように湾曲形状を調整する必要があるというような認識はなかったものである。したがって、ドリルの先端を円錐形にすれば振れの安定が得られることが技術常識であったとしても、引用例1記載の発明に基づいて、相違点に係る本願発明の構成を得ることが当業者にとって容易であったとは認められないから、被告の前記主張は理由がない。

また、被告は、回転軌跡をほぼ円錐形とするには、切刃の湾曲をなだらかに設定すればよいことは、幾何学的にみて当業者が容易に想到できたと主張する。

しかしながら、幾何学的にみて、そのようにいえるとしても、従来の凸状に湾曲した中心切刃を有するドリルにおいて、当業者に回転軌跡が円錐形にならない場合があるとの認識があったとはいえない以上、当業者が中心切刃の湾曲度を変えて回転軌跡を円錐形にしようと想到することは容易になし得たこととはいえないから、被告の前記主張も理由がない。

〈3〉  したがって、相違点に係る本願発明の構成は引用例1ないし3記載の発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に想到し得たとした審決の判断は誤りである。

4  以上のとおりであって、審決は、引用例1の記載内容を誤認して一致点の認定を誤り、その結果、本願発明は引用例1及び2記載の発明、引用例3記載の技術及び周知技術に基づいて容易に発明することができたと誤って判断したものであるから、違法であって、その余の取消事由について検討するまでもなく、取消しを免れない。

第3  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は、正当であるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 田中信義)

別紙図面1

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別紙図面2

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別紙図面3

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